戦国島津伝




 第十八章 『義弘奮闘記』

 1569年

 飯野城の島津義弘は、唐突に家臣達に言った。

 「狩をする、付いて来い」

 「は?」

 義弘は立ち上がり、三百騎を率いて飯野城を出た。

 この情報は伊東にも伝えられ。




 「何?義弘が狩をする為に城を出た!」

 「はい、間者の報告では、まず間違いはありません」

 「狩か・・・よし、我々も狩に出るぞ!無論狩るのは、島津義弘だ!」

 伊東祐安は早速、五百の手勢を率いて三山城を出た。




 義弘の三百騎は飯野城を出た後、真っ直ぐ桶平(おけだいら)城に向かった。

 桶平城は、伊東祐安が島津家の加久籐城に対抗する為、築いた砦だった。

 「義弘殿!どういうお積もりか、このまま桶平城に突っ込む積もりか!」

 老兵が一人、義弘を叱咤する。

 「ここは木地原か、よし、軍を三つに分ける」

 義弘が木地原と呼ばれる平原に到着した時、三百の手勢の内、百騎を進発させ、敵軍の道筋に伏せた。

 また更に百騎を後方に置き、義弘自信は残る部隊を率いて伊東勢を待った。

 「義弘殿、これは」

 「狩をすると言っただろう?これから伊東狩りを行う」

 「なっ!」




 義弘が全部隊の配置を完了させた後、何も知らない伊東祐安は五百の手勢をそのまま百騎の義弘本隊にぶつけた。

 「掛かったな、伏兵部隊に合図を!」

 「はい」

 法螺貝が鳴り響き、伊東勢の後ろから伏兵部隊が鉄砲を発射した。

 「伊東は浮き足立っておる!進むぞ!」

 義弘は先頭で槍を振るう。

 刀を持った敵を馬上から一突きし、馬に乗った敵は地面に叩きつける。

 義弘が槍を振るえば、必ず敵は血飛沫を上げ、騎兵は馬から落とされる。

 義弘の奮闘に伊東勢は戦意が見る見る失せていく。

 その時、後方の部隊百騎が回り込んで伊東軍の側面を突いた。

 「横腹から味方が突っ込んだ!全軍一斉攻撃!」

 三方からの攻撃に、伊東軍は遂に潰走した。

 この敗北で、伊東氏は新築の桶平城の維持が難しくなり、結局放棄する事になった。




 義弘の戦いは続く。

 主君義久からの要請で、菱刈勢の最後の要塞、大口城に向かって三百騎を率いて向かった。

 同行する武将は、家老の川上久朗である。

 「間も無く新納殿の馬越城です。その軍と合流し、大口城を包囲する予定です」

 「新納も大変だな、馬越城は相良氏と菱刈氏に対する壁。常に一番に標的にされる」

 68年の島津白囿斎(貴久)による菱刈征討戦で、落とした菱刈勢の本拠・馬越城は、島津家の勇将・新納忠元が守っていた。

 「まあ鬼武蔵殿は、肥後方面に顔が利くし人望もある。問題ないでしょう」

 明るい笑顔で話す久郎。彼は既に亡くなった島津家重鎮・川上忠克の実子である。

 父に似て、明るい男だ。




 「久朗、あれは?」

 義弘の軍が、馬越城周辺に差し掛かった時、突如目の前に大軍が見えた。

 「あの軍、旗・・・菱刈と相良です!」

 「しまった、鉢合せか!」

 敵もこちらに気付いたらしく、猛然と向かって来る。

 「義弘様、撤退しましょう」

 「今背を向けたら、我々は全滅する。堅陣を敷いて持ちこたえよ!」

 数は分からないが、恐らく一千人以上の大部隊である。

 いかに勇猛な義弘軍でも、多勢に無勢。義弘自信も全身に傷を負い始めた。

 「全軍奮い立て!俺に続け!」

 「義弘様、ご自重下さい!これでは新納殿の援軍も間に合いません」

 「まだだ、踏み止まれ」

 「義弘様・・・ごめん!」

 川上は義弘の馬の尻に刀を突き刺した。

 驚いた義弘の馬は猛スピードで戦線を離脱する。

 「久朗!!」

 後ろを振り返った時、もう川上の姿は映ってなかった。




 後の報告で、菱刈・相良の連合軍はおよそ三千いた事が判明した。

 この遭遇戦で、家老の川上久朗は戦死。義弘も全身に重傷を負った。


 第十八章 完


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