戦国島津伝
第二十一章 『乱世の狂気』
元亀二年(1571年)
この年、島津家四兄弟全員を憤怒させる歴史的大事件が起きた。
「何!」
「比叡山が!」
「焼き討ち!?」
「バカな・・・」
義久は上井覚兼の報告で、義弘は長寿院、歳久は平田、家久は鎌田によって事件を知った。
飯野城・義弘
「長寿院!どういう事だ」
諜報員・長寿院盛淳は事の真相をかなり詳しく探っていた。
「人間のする事ではありません。比叡山を焼いたのは織田信長、奴は敵対していた朝倉・浅井を庇護した比叡山を攻撃。僧兵はもとより、女子供、貴重な経典も全て焼き尽くしました」
ギリッと唇を噛み締める義弘。
「比叡山は・・・あそこは伝教大師(でんぎょうだいし)最澄が建てた伝統ある寺。法然、親鸞、道元、栄西、日蓮の様な名僧を多数輩出した所ぞ!いくら戦の為とはいえ、焼くとは・・・」
島津家は熱心な仏教徒ではないが、貴重な文化遺産を焼かれて、気分の良いものではない。
信長の比叡山焼き討ち事件は、彼に『仏敵』・『魔王』と言う称号を与え、多くの大名達から目の敵にされる事になった。
島津家でも、遠く離れた仏敵・織田信長に対する批判は日に日に拡大した。
そんな中、義久は冷静だった。
内心は彼も、信長の行為に憤りを感じたが、周囲が騒がしいと逆に落ち着いてしまう癖がある義久。鎮座したまま動かない。
(比叡山を焼くか、大胆な男がいたものだ。確かに許されぬ行いだが、女人禁制の比叡山に女子が沢山いた事が気になる・・・やはりあの噂は真か・・・)
家臣の誰もが信長に対する怒りを露にする中、義久と覚兼は、京から流れる比叡山の噂に注目していた。
比叡山は天台宗の総本山で『聖域』ではあるが、戦乱の影響で腐敗。僧が女を連れ込み、領民に詐欺紛いの商法で金を取る。僧兵の横暴は見るに耐えない。
と言う噂が義久と覚兼には伝えられていた。
「とは言え、信長は許せぬ」
噂が本当だとしても、僧兵のみならず、戦う力がない女や子供、普通の僧達も皆殺しにしたのである。
(時代が生んだ狂気だな・・・)
乱世の混沌の深さを、改めて認識した四兄弟だった。
辺境の大名ほど、京に対する憧れ、羨望の念がある。
信長が京を支配している事は知っていた。それ故、比叡山を焼く様な男に京を支配させておいて良いのか?
島津家の中で、信長のイメージは実に悪いものとなった。
第二十一章 完
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