戦国島津伝




 第三十七章 『九州の三国志』

 北日向の土持氏が完全に島津家の支配下に入り、島津は三国(三州)統一を果たした。

 だが、これで全てが終わったわけではない。

 日向の名門・伊東義祐と祐平親子が豊後の大友宗麟を頼り逃亡。宗麟は二人を保護し、島津に対して日向からの撤退を要求してきた。無論、承諾できるはずはないが、なにぶん大友は大きい。九州の中部全域に勢力を伸ばしている。肥後の小大名・相良氏、阿蘇氏は大友と同盟関係。筑後の秋月氏とは従属関係にある。今の所、大国・大友家と明確に敵対関係にあるのは、肥前の一部を所有する龍造寺家くらいだ。

 このまま大友と戦うか、何とか話し合いで解決するか。

 「どうしたものか」

 島津義久のその言葉は、家臣や身内の心の代弁だった。





 そんな中、一人の武将が薩摩の内城を訪れた。

 男の名は今年四十一歳になる島津義虎(しまづよしとら)。

 薩摩出水の領主で、分家の島津家当主。

 ※出水(いずみ)・今の鹿児島県北西端で八代海に面する。鶴の飛来地

 彼の父親の島津実久(しまづさねひさ)は、島津分家五代当主として出水方面に台頭した。

 この頃、本家島津家の十四代当主・島津勝久(しまづかつひさ・実久の妹婿)は、家督争いで実久と対立。激闘に敗れた勝久は、実久と同じく分家の当主・島津忠良(義久の祖父)を頼り、忠良は息子の貴久(義久の父)を勝久の養子として本家を継がせ、無理矢理に本家を乗っ取ろうとする実久と争った。この時、実久の息子・義虎は忠良に協力。実久は戦に敗れ、本拠の出水に隠居。忠良は更に勝久を追放し、薩摩全域は事実上、島津忠良と貴久親子が手に入れたのだ。

 そんな経緯で、島津義虎は出水の島津分家六代当主として、また島津義久の重臣として、今に至る。そんな彼が今回薩摩に来た理由は、主君・義久の三国(薩摩・大隈・日向)統一の祝いの為だった。

 それともう一つ、大事な用があるのだが、彼は忘れている。

 「へ〜、くしょい!」

 義久の目の前で豪快にくしゃみをする義虎。

 身長はやや低く。骨格はガッシリ。両目は少しタレぎみ。

 何とも特徴が多い男だ。

 「風邪か、義虎殿?」

 名目上は家臣だが、義虎は分家の当主。義久もそれ相応の敬意を示して、名前に『殿』をつけている。

 「いやいや、誰かがわしの噂をしておるのじゃ」

 「ふむ。ところで出水の様子はどうか?」

 「平穏で退屈そのもの。兵達も早く戦がしたくてウズウズしておるわい」

 島津義虎の領地である出水は、肥後の相良氏と隣接しており、常に戦闘態勢をとっていた。

 だが、最近は相良氏も内紛問題で頭を抱えており、今のところ出水には静かな空気が流れている。

 「我慢せよ義虎殿。いずれ、相良義陽とも決着をつける」

 「その時はこのわしに先鋒を頼みますぞ」

 ずずっと前に進み出る義虎を、片手で制止させる義久。

 どうもこの男の顔は好きになれない。





 それから二人はしばらく酒を飲み、いつの間にか宴が始まった。宴には平田光宗・伊集院忠倉・伊集院久春・上井覚兼も呼ばれたが、夜も深くなった頃、義久の正室・ときが怒鳴り込んできたのをきっかけに宴はお開きとなった。

 それぞれ自分の屋敷に戻ろうと腰を上げた時だ。

 やっと義虎が大事なようを思い出した。

 「あ〜、そうそう殿。実はわしは、龍造寺からの手紙を預かっておるのじゃ」

 「「「・・・・・」」」

 部屋にいた全員が固まる。

 そして。

 「「何ーーーー!!」」

 「ほう」

 覚兼以外が絶叫した。

 「何でそれを早く見せぬ!」

 思わず伊集院久春が怒鳴る。

 「すまん、すまん。つい忘れておった」

 「つ、つつ、ついですと!他国の手紙を主君に見せなかったのをついですと!」

 筆頭家老・伊集院忠倉は顔を真っ赤にして怒る。

 他国の手紙は一通でお家の大事になる可能性もある。普通なら一刻も早く主君に見せるのが道理。

 「だから忘れておったのじゃ」

 悪びれた様子もなく、再び酒を口に運ぶ義虎。

 その態度が更に忠倉を怒らせた。

 「〜〜〜〜(怒)」

 「義虎殿。それでその手紙はいつ誰に?」

 平田が冷静に問いただす。

 「この前、龍造寺からの間者(かんじゃ・スパイ)が持ってきたのよ」

 「間者が」

 「確か名前は百武・・・」

 「まさか、百武賢兼(ひゃくたけともかね)!」

 「おお!そうだ、その名だった!」

 「龍造寺隆信の腹心の部下ではないか。そんな者がわざわざ出水まで来るとは」

 百武賢兼は肥前全域に武名をとどろかす『龍造寺四天王』に勝るとも劣らぬ猛将。龍造寺家の事を少しでも調べれば、必ず名前が出る男だ。

 「そ、そんな重要人物からの手紙なら、なおさら早く!」

 「忠倉、もうよい。それで義虎殿。早速手紙を見せてくれ」

 「ははぁ。これに」

 ふところから手紙を取り出し、義久に手渡す。

 義久は手紙の文面を素早く見た後。

 「うむ、内容は明日皆に話す。今日はもう帰れ」

 「「はっ!」」

 平田と久春は素直にうなずいて帰り、義虎と忠倉は少し口喧嘩して帰って行った。

 「覚兼、どう思う?」

 部屋に残ったのは義久と上井覚兼。

 「恐らくは、大友家との事だと思います」

 「まぁ、そうだろうな。やれやれ、忙しくなりそうだ」

 「・・・・」

 義久は覚兼が去った後、ときが呼びに来るまで、立ったまま手紙を読み続けた。





 翌日・内城

 城に呼ばれたのは、昨日のメンバーと同じ。

 上座に座った義久は一同を見回し、口を開いた。

 「昨日の手紙だが・・・」

 「「「・・・・・」」」

 「やはり、龍造寺家からの手紙に間違いなく、同盟を結んで大友家を共に倒そうという内容だ」

 「龍造寺と同盟・・・」

 伊集院忠倉・久春・平田の三人の顔が曇る。

 彼らだけでなく、この場にいる全員がこの手紙に難色を示した。

 理由は龍造寺家当主・龍造寺隆信(りゅうぞうじたかのぶ)にある。

 彼はその凶暴さと残虐性から、『肥前の熊』と恐れられる大名。

 『そんな男と組んで大丈夫なのか?』というのが皆の心中だった。

 「皆の意見を聞きたい。話せ」

 とりあえず座の者に意見を求める義久だが、答えは分かりきっていた。

 「恐れながら、今龍造寺と同盟を結ぶのは時期尚早であると思います。それに奴らと同盟すれば、大友家を敵に回す事になります」

 「なるほど、忠倉はそういう考えか・・・他の者は?」

 何もこんな少人数の話し合いで最終的な決議は決まらないだろうと思い、平田も久春も素直に自分の考えを述べた。

 「私も伯父と同じ考えです」

 「それがしも、今回の同盟は見送ったほうが良いと思います」

 「うむ。では覚兼と義虎殿はどうか?」

 覚兼が黙っているので、義虎がまず思いを口にした。

 「わしらはまだ、あの家についてよく分かっておらんので、いきなり同盟というのはどうも・・・」

 遠回しに義虎も反対の意思表示。

 そこで初めて覚兼が口を開いた。

 「私は、同盟は必要と思います」

 義久を含めた全員が覚兼を見つめる。

 「将来、大友と戦う事を想定すると、龍造寺隆信がいる肥前は大友家の北西。我々がいる場所は大友家の南。北と南から挟撃の形をとれば、いかに巨大な家でも兵力を分断させられましょう」

 覚兼は更に言った。

 「ですが、義虎殿が言ったように、我々は彼らについてよく知りません。無闇に同盟して面倒に巻き込まれるのはごめんですし、彼らと敵対関係にある大友家やその他の小大名から標的にされたくもありません。ここは一つ、返事は保留して、私が内密に向こうと連絡を取り合うというのはどうでしょう」

 その言葉に、座はしばらく沈黙した。

 「私が龍造寺家の百武殿と内密に互いの情報の交換を行うのです。これは同盟ではなく、他家の家臣同士の交流ですので何ら問題はないと思いますが」

 覚兼は、表立っての同盟締結ではなく。裏から相手を知る手段を取ろうというのだ。

 それから数日後。

 義久から覚兼に極秘の命令書が届くことになる。





 一方、ここは肥前の国。

 肥前は現在の佐賀県、長崎県の一部で他国との交通の要所でもある。

 天正五年(1577年)の今、龍造寺隆信は勢力を着実に伸ばし、北肥前(長崎県・唐津(からつ)付近)の豪族・松浦氏を配下にいれ、南肥前(島原半島)の小大名・有馬氏も降服させていた。

 主家である少弐氏を滅ぼして下克上を成功させ、中国地方の大内氏や毛利氏と手を結び、有力国人の鍋島一族とも緊密な関係を築くなど。

 龍造寺隆信の軍事手腕はそれなりに高い。

 その彼の居城・村中城には、多くの家臣達が呼び集められていた。

 まずは側近の百武賢兼。続いて将来が期待される武者・鍋島直茂(なべしまなおしげ)。更に続いて『龍造寺四天王』、江里口信常(えりぐちのぶつね)・円城寺信胤(えんじょうじのぶたね)・成松信勝(なりまつのぶかつ)・木下昌直(きのしたまさなお)。

 ※資料によると、百武賢兼を入れた五人を『龍造寺四天王』という事もあるらしい。

 彼ら四人はそれぞれが百人力の猛者で、隆信から厚い信頼も受けていた。

 四人の共通点は、『思慮が足りないこと』・『自分こそが九州最強の男だと信じて疑っていないこと』が上げられる。

 龍造寺隆信が主家を乗っ取り肥前の西側を占領して以来、彼らは各地を転戦して武功を上げたまさに重鎮。そんな彼らが一同に顔を合わせるのは珍しい事だが、百武賢兼と鍋島直茂にはだいたい理由が分かっていた。

 城に到着した家臣達は早速、龍造寺隆信が待つ部屋に向かった。部屋に入ると、既に隆信は上座に座り、先に来た者達と話をしていた。

 龍造寺隆信の外見は『肥前の熊』の異名にふさわしく、本当に熊のような体格と顔をしている。体は大きく、腹はふくれ、顔は分厚く両目は今にも飛び出してきそうだ。隆信は四天王や百武、鍋島が部屋に入ると着座するよう命令し、早速軍議を始めた。

 龍造寺家は今、肥前の西半分を手中にし、残りの東半分は大友家のものとなっている。その大友をどうやって撃破するか。

 最初の課題はそれだった。

 そこで鍋島直茂が手を上げ。

 「殿、大友は強力な家なれど、先の我々との戦でかなりの痛手を負い、肥前の大友家の力は減少しております。この直茂に軍を任せていただければ、必ず肥前の全てから大友を駆逐してご覧に入れます」

 その頼もしい言葉に、隆信は巨体を揺らして喜んだ。

 「うむ、さすがは直茂。頼もしいことじゃ、がはははは」

 直茂に手柄は渡さぬと思い、四天王も次々と勇ましいことを言う。

 「殿、わしなら一月で大友家を全滅させて見せます」

 「いやいや、江里口殿には無理じゃ。この円城寺信胤でなければ」

 「この成松信勝、肥前の戦で負けた事はございませぬ」

 「是非!この木下にご命令を!」

 ギャアギャアと騒ぐ四天王。

 それを横から冷めた眼で見るのは最初に口火を切った男・鍋島直茂。

 彼は1570年の『今山の合戦』で大友軍の本陣を奇襲し、龍造寺家に大勝利をもたらした若き将軍である。

 隆信は彼を重く用いて信頼したが、実のところ直茂は主君の冷酷非道なところが嫌いだった。よって表面上『良い家臣』を演じているに過ぎない彼が言った言葉「肥前の全てから大友を駆逐する」というのは、半分冗談が含まれている。

 それを知ってか知らずか、百武賢兼が発言する。

 「鍋島殿は地理に詳しい。先の合戦でも見事な活躍をされた。ここは鍋島殿に東肥前の攻略を任せてみては?」

 と、直茂をおす。

 隆信はアゴをさすりながら。

 「う〜む。では円城寺を先鋒に軍を出し、直茂は補佐を頼む」

 「「はっ!」」

 「殿、我らは?」

 円城寺と同じ四天王の三人が詰め寄る。

 「心配するな。お前達は大友家の領内に深く侵攻し、砦を築いて次の戦への足がかりを作れ」

 「「「ははぁ!!」」」

 三人が頭を下げると、また百武が発言した。

 「ところで殿。島津家との同盟の件ですが」

 「ああ、忘れておった。どうじゃ百武?」

 「同盟そのものは結ぶことは出来ませんでした。ですが、上井覚兼という家臣から内密に情報のやり取りをしたいと」

 「がははは!大友と直接戦う度胸はないとみえる。素直に怖いから同盟は出来ぬと言えばよいのに」

 「しかし、島津家は念願の三国統一を成し遂げたばかり。それにまだ大友家とは敵対していないので、下手に刺激したくはないのでしょう。ですから私は、義久公本人にではなく、比較的近い距離にいる島津義虎殿に密書を渡したのです」





 不思議と、島津家を弁護する百武を隆信は責めない。

 苦楽を共にしてきた彼の言葉なら、隆信も素直に耳を傾けるのだ。

 「まあよいわ。いずれ大友も島津もわしが滅ぼすのじゃから・・・。百武、島津との外交はお前に任す」

 「はっ!」

 それから国内の問題を話し合った後、軍議は終了した。

 鍋島と円城寺は東肥前攻略のため出撃。他の四天王もそれぞれ担当の方面に行き。百武賢兼と島津家の上井覚兼はそれぞれ間者を使って互いの情報交換を開始した。情報の交換といっても、機密に関することを他国に教えるわけにもいかない。それにもしかしたら嘘の情報を貰うかもしれない。

 そこら辺は百武と上井の腕の見せ所だった。





 それから数日後、円城寺と直茂は東肥前の大友家を撃破し、肥前一国はほぼ龍造寺家の物となった。

 江里口・成松・木下の三将も各方面で成功を収め、龍造寺家は北九州の雄として一気に飛躍。

 これによって、九州は北に龍造寺、中央に大友、南に島津が構える『三国志』のような状態を形成した。



 第三十七章 完


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