戦国島津伝




 第四十二章 『義久の野望』

 北の龍造寺、中央の大友、南の島津。九州で最大の実力を持つ、この三国の拮抗が崩れた。日向に侵攻した大友軍四万を、島津軍二万が壊滅させたのだ。大友は多数の将兵を失い、未亡人がたくさん出来た事から、後に『日向後家』という言葉まで生まれた。





 内城

 「義久様。まずは耳川合戦での勝利、おめでとうございます」

 上井覚兼が深々と頭を下げる。周りには、伊集院忠倉と平田光宗もいた。

 「覚兼よ、そんな言葉を言う為にわざわざ来たのか?」

 「ふ、さすがは殿ですな。よく分かっていらっしゃる。では言わせて頂きます。兵糧、馬、鉄砲、全て不足しております」

 素っ気無く言ってくれる。まあ、そこがこいつの良いところでもあるが。

 「なぜ不足している?」

 「大きな戦をしました。動員した兵力は島津家でも精一杯、もちろん出せる物資は全て出しました。大友が国力を回復するように、我々もしばらくは休息が必要かと」

 当然だった。戦はタダでは出来ない。兵には飯が必要だし、武器も必要だ。たとえ大戦に勝ったとしても、それにおごってしまっては後で苦労する。

 「では、どうすれば良いと思う。忠倉」

 忠倉は何か報告書のような物を片手に、前に出た。もう五十に近い歳のせいか、最近はあまりしゃべらなくなっていた。

 「馬は牧場を手頃な所に何箇所か作り、鉄砲は種子島から今まで通り買い取ればよいと思います。それから兵糧は、大きな戦が起きなければ問題ないでしょう」

 淡々としゃべるが、眼はずっと義久から外さなかった。

 「良く分かった忠倉。では、その作業を一月で終わらせろ」

 「えっ!!」

 「作業能率を上げろ。兵糧、馬、鉄砲、特に軍に必要な物を最優先にしてな」

 「な、なぜです。大戦が終わってまだ一月しか経ってはおりませんぞ。いくらなんでも、国が疲弊します!」

 思わず腰を上げて詰め寄りそうな忠倉を、平田が後ろから肩に手を当てて止める。

 忠倉の言いたい事は分かる。文官は優れていればいるほど、正確に国を見る。だから無理なら無理、出来るなら出来ると、口から出ればそれは『本当』ということだ。

 「国を憂い、民を愛する。それは君主にとって必要なものだ。しかし乱世だ、忠倉。力の弱い君主がどういう運命を辿ったか、分かるだろう?」

 忠倉は戦慄した。昔の義久とは明らかに雰囲気が違う。

 「平田」

 「はっ」

 「各地域にいる将軍達に兵を与えろ。兵を調練し、精強な軍にしろ。わしは時々、何の通告もしないで巡察に出る。その時、兵が惰弱だったら、担当した者の首を刎ねる。この事を、お前が義弘に伝えてこい」

 「承知」

 平田は冷や汗を流しながらも、黙って部屋を出て行った。これで、島津軍は今までとは何倍も違う軍になるはず。

 「お、お待ち下さい」

 「何だ、忠倉。まだいたのか」

 義久が暗い瞳で忠倉を睨む。それだけで忠倉は顔を引きつらせた。

 「軍備増強、それはまた、戦をするという事ですか?」

 「当然だ」

 「薩摩、大隈、日向は我らの物となったではないですか!先君の伯囿斎様、そして日新斎様が夢見た、三国守護の役職は回復しました。これ以上、どれほどの領地が必要なのですか」

 言いたい事を言い切った。そんな感じだった。そしてどこかに、悲哀も混じっている。

 「・・・この国は、戦の繰り返しだ。そのうち、戦を勝ち抜いた者が王者として国を支配するだろう。それは何年も、何十年も昔から繰り返してきた人の宿命だ」

 「では島津は、いえ殿は、この国を支配したいと?」

 「支配者はただ一人だ、忠倉。どんな者が支配者になったとしても、我らが平穏に暮らせるという保障がどこにある。島津という家が生き残る絶対の保障、わしはそれが欲しい。その為には、この乱世を勝ち残るしかない。それには力が必要なのだ」

 「・・・分かりました」

 部屋を出て行く忠倉の背中は、ひどく小さく見えた。

 部屋には、義久と覚兼が残っている。

 「覚兼」

 「はい」

 「わしは、歳を取ったか?」

 義久は今年で四十五歳。人間五十年と呼ばれたこの時代には、年寄りと言っていい。

 「いいえ殿。殿はずっと若い」

 「なぜだ?」

 「若くなければ、あのような事は言えません」

 「焦っておるのかな、わしは」

 部屋から外を見ると、鳥が鳴いていた。少し、鳥の声が小さいなと、感じた。





 数日後、島津家に大幅な軍備増強が実施された。同時に、若い将軍達の配置も決まった。島津義久の末弟、島津家久は日向・佐土原城。東郷重位は北薩摩・馬越城。梅北国兼を大隈・帖佐城に配置。それぞれ兵を五百人ほど義久から与えられ、調練を命じられた。





 伊集院忠倉と息子の忠棟、一族の久春は日夜職務に追われ、上井覚兼ですら一日中書類の山に埋もれた。





 そんな中、義久のもとに一通の書状が届いた。

 「なんじゃ、これは?歳久、開けてみよ」

 「はい・・・・えええ!!」

 「どうした」

 「これは、織田信長からの書状です」

 「ほう、信長か・・・誰だっけ?」

 「だ、誰!?おい、長寿院!長寿院はいるか!」

 歳久が呼ぶと、庭先に音もなく人影が現れた。

 「何か?」

 「おお、長寿院。実は織田信長について知りたいのだ」

 「織田信長ですか。分かりました」

 信長は天正六年(1578年)の現在、石山本願寺や毛利輝元と戦いながら、天下でも勇壮な安土城を建てていた。

 「幕府を滅ぼした男。信長だったのか」

 「はい。それに、天下無敵と言われた武田騎馬軍団も、織田軍に長篠で完敗したそうです」

 「何と、あの武田軍が」

 「私が見たところ、天下で一番の実力者だと思います。もちろん、勢力、人材、領地の数を含めて」

 「ぬぅ〜」

 歳久が唸り声を上げるが、義久は至って冷静だった。

 「それで、何と書いてある、歳久」

 「は、はい。え〜、『島津は豊後の大友と和睦し、一切の戦闘行為を禁じる。従わねば、この信長自身が天罰を下す』と、記されています」

 「・・・・・」

 その手紙の内容に、歳久は怒りをあらわにした。

 「大兄上!こんな無礼な手紙、今まで拙者は見た事がございません。信長如き、何するものぞ!こうなれば一刻も早く、豊後に攻め入りましょう!」

 「軽率に動くな、歳久。将軍と文官を集めろ、皆で話し合う」

 「ぬぅ〜、信長め」





 後日、家臣達を集めての話し合いは、将軍を中心に大半が信長に対して憤怒をあらわにした。

 「信長如きが!」

 「天罰を下されるものなら下してみろ!」

 そんな空気の席上で、伊集院忠倉が声を上げた。

 「待ってください。信長は帝と京の都を制圧しています。これを敵に回せば、朝廷に何らかの働きかけをする事もありえます」

 以外にも、島津義弘も忠倉に同調した。

 「大友は先の大戦で大敗北した。今これを踏み潰すよりも、永年我らと対立してきた肥後の相良氏を倒すほうが上策」

 島津軍団の頂点に立つ義弘の言葉に、さすがの将軍達も黙った。

 「最終決定は、殿に」

 そう言って、義弘は義久に体を向き変えた。

 義久はしばらく考えた後。

 「確かに、確かに義弘や忠倉の言う事も一理ある。信長には了解したと返事しておく。だが皆、忘れるな。いずれ信長は我々が滅ぼす!今は甘んじて、奴の顔を立ててやろうではないか!!」

 オオ!と、鬼の形相をした男達の雄叫びが轟いた。家臣には、義久が決めたら異論は挟まない。そう徹底させてあった。

 義久にとって、信長の書状などはどうでも良かった。確かに腹は立ったが、停戦しろと言われればしても良いといった気持ちだった。大名間の停戦交渉など、うわべだけ。

 それよりも、義久は哀れだった。いかに家を守るためとはいえ、力を持つ大名に大友宗麟は膝を屈したのだ。武士として、大名としての誇りはどこに行ったのか・・・。





 信長の書状問題から年が明け、天正七年(1579年)。

 義久は本格的に相良氏攻略を計画した。大口城を失ってからの相良氏は、急激に力がなくなり、今や防備を固めるだけだった。

 「歳久。出水の義虎と大口城の新納忠元に伝令だ。兵を率いて相良を潰せ!」

 「了解しました!」





 「大兄上。少し報告が」

 庭の木々を見つめていた義久の後ろから、歳久が声をかけた。

 「歳久、何だ」

 「種子島久時殿が、到着しました」

 「おう、来たか!」

 珍しく、義久は顔を喜ばせた。種子島久時(たねがしまひさとき)は、種子島当主・種子島時堯の次男。今年で十一歳になる少年で、時堯が最も可愛がっている息子だ。

 久時が薩摩に来たのは、島津義久自らが彼の烏帽子親(えぼしおや)を買って出たから。烏帽子親とは、元服する男子に対して烏帽子名を付けてくれる人を指す。

 「すぐに連れて来い」





 目の前にちょこんと、可愛らしく座る久時を見て、思わず頬が緩む義久。

 「今日は良く来たな、久時。お主の父である時堯には、わしも世話になった」

 「はい、父も義久様によろしく伝えてくれと言っておりました」

 「そうか、そうか。ところで、久時は鉄砲が使えるか?種子島の者は皆、鉄砲が実にうまい。何人かはわしの指南役でもある」

 「鉄砲は、天下で誰にも負けません!」

 眼を輝かせ、元気良く答える少年。義久は、悪くない男だと思った。こういう者は、将来が実に楽しみだ。

 「ははは。そうか、そうか。久時、近くに来い」

 久時は義久の目の前に座り、一心に見つめた。曇りも、濁りもない眼だと感じた。

 「わしのために働いてくれよ、久時」

 「はい。この久時、身命を賭して!」

 その日、種子島久時の元服は無事に終わった。種子島久時が配下にいれば、種子島という一つの島を支配するに等しい。





 夜

 酒が飲みたいと久時は言った。

 「酒?お前にはまだ早い」

 「なぜです。男子は酒を飲めねば、人生の楽しみを一つ失うと、父から教わりました。ぜひ殿と一緒に、酒を飲ませてください」

 「・・・後悔するなよ」

 後ろで歳久が笑っている。義久も笑った。

 それほど久時は酒に弱かった。もう、何を言っているのか分からない。

 「殿、酒、酒こそ、人生の、人生の、た、楽しみです」

 「面白い奴だな、お前は」

 思わず頭をなでると、久時は気持ちが良さそうだった。思えば、自分に男子はいない。ときは、女子しか産んではくれなかった。

 「う〜ん。殿〜」

 その日の夜は、義久にとって久し振りに騒がしいものだった。



 第四十二章 完


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