戦国島津伝




 第五十二章 『渡海』

 天正十二年(1584年)

 有馬晴信と龍造寺隆信との島原を巡る戦いは、誰の眼にも勝敗は明らかだった。

 三月十九日・神代海岸に到着した龍造寺軍は総勢三万(一説では五万とも六万とも)と言われる大軍。

 対して島原半島南端の日野江城にいる有馬軍は三千。とても太刀打ちできるものではない。

 だが、この圧倒的兵力差を見せ付けられても、有馬軍総大将・有馬晴信に後悔はなかった。

 (俺の父も、祖父も、ずっとこの土地で暮らしてきた。この土地を守って死ねるなら、本望!)

 有馬晴信の決意に揺るぎはなかった。





 一方その頃、九州の島津家内部では論争の嵐となっていた。

 「今すぐ有馬氏を救援しなければ、龍造寺は三月中には島原全域を支配化に収めるぞ!」

 「なぜ何の恩義もない有馬を助けなければならん!我々の当面の敵は龍造寺ではなく、肥後の阿蘇家のはずだ!」

 助けるか・・・助けないか・・・。

 島津義久は黙ってその論争を聞いていた。当主である自分は、勤めて冷静に現状を見なければならない。





 話し合いは内城の外でも展開していた。

 飯野城の島津義弘は、従兄弟の島津忠長と会合を開いた。

 「忠長、お前は島原への援軍、どう思う?」

 「うむ、俺は行くべきだと思うぞ。いや、ぜひ行くべきだ!」

 従兄弟同士とはいえ、忠長と義弘の年齢差は二十歳近いものがある。

 だが、忠長はいつも遠慮の無い話し方をする。そこが義弘は気に入っていた。

 「なぜだ」

 「簡単だ、俺は戦がしたい。目の前に戦が起こっているのに、何もしないなんて俺にとっては苦痛なのだ」

 「ほう〜」

 「ただ問題が一つある」

 「海だな」

 「・・・・・」

 忠長は、かなづちだった。更に言えば、船酔いの常習犯でもある。

 「もしも島原に渡ることになったら、船に乗っていくだろう?俺はそれが唯一嫌なのだ」

 真剣に嫌そうな顔をする忠長。

 「はっはっはっ。ならば島原に行くのを止めたらどうだ?」

 「いや、俺は行く!そして先鋒になって、武功を立てる!」

 いつも義弘の背中を追い続けて育った忠長は、一刻も早く武功を立てて義弘に追いつきたいという夢があった。

 「まあ〜、兄者が決断を出すまでの辛抱だな」

 「・・・義久殿は、援軍を出すだろうか」

 「兄者は考えているふりをして、実はもう決断を出している奴なのさ」

 「そうか、よし、今のうちに武器の点検だ!」

 「待て、待て。お前にはまだやることがある」

 「ん?」

 「船酔いの練習」





 上井覚兼と伊集院忠棟、島津歳久は内城で熱い話し合いをしていた。

 「龍造寺隆信は主だった家臣を引き連れ、島原北端を蹂躙している。到底勝ち目はないように思えますが」

 忠棟の言葉に、覚兼も賛同する。

 「私もそう思います。今回の派兵は止めたほうがいい。こちらに分が悪すぎます」

 二人の言葉に歳久は反論する。

 「助けを求めてきている者を見捨てては、島津の名折れである!」

 普段は自分達文官の意見に賛成してくれる歳久からそう言われて、忠棟も覚兼も押し黙った。

 もはや彼らから見れば、奇跡でも起こらない限り勝利はあり得ない。





 三月二十日

 島原半島の北岸にある三会城が陥落したという情報が届いた。

 (もはや時間がない!)

 考える義久に救いの手を差し伸べたのは、とっくに現役を引退した伊集院忠倉であった。

 彼は無言で席を立ち、ゆっくりとしゃべりだす。

 「孔子の言葉に、『義を見てせざるは勇なきなり』というものがございます。いま目の前で苦しんでいるのは有馬氏ではなく、島原の領民。彼らを助けずして、我らは武士と言えましょうか?」

 淡々と、それでいて静かに義を説く忠倉。

 顔には老いが目立ち、髪には白髪がある老臣の言葉に、内城の館に集まった家臣団は押し黙った。

 義久は忠倉の言葉を聞いているうちに、自分が何を成すべきなのか分かった気がした。

 何年も自分に仕え、支えてきた男。その彼が雄弁を振るっている。

 義久は腰を浮かせ、一心に忠倉の言葉に聞き入った。





 三月二十日の午前

 島津家は有馬氏への援軍を決意した。





 一日も置かず、有馬氏救援部隊が発表され

 総大将・島津家久

 副将・島津忠長

 部将・伊集院忠棟、島津義虎、新納忠元、山田有信、樺山久高、

 猿渡信光

 などの面々が名を連ねた。





 「すぐに日向の佐土原城から家久を呼べ!樺山久高に軍船を用意させよ!有馬晴信に書状を送れ!」

 派兵を決意した島津義久の対応は迅速だった。もう一日も猶予はならない。

 だが、島津家久は内城に現れず、代わりに息子の豊久がやってきた。

 「殿、父の代わりに参上いたしました。豊久です」

 「む?豊久か、なぜ親父はこない」

 「父は、戦には出ないと言っております」

 「なに!馬鹿を申すな、あの家久がそんなことを言うものか!」

 義久は館の中で怒鳴った。

 「それが、最近の父は信長が死んでから様子がおかしいのでございます」

 「信長?あの織田信長のことか?あの男が一体なんだと言うのだ」

 「私には分かりません。ただ、信長は天下を取れただろうとしきりに言うのです」

 「あいつはそんなに信長に心酔していたのか?」

 「そうではないと、私は思います。父は恐らく、この乱世を治める英雄を欲しているのではないでしょうか・・・」

 義久は絶句した。昔からいろいろと考えすぎるところがある弟だとは思っていたが、もはやそこまで悩んでいたとは。

 「豊久、とにかく何でも良いから家久を連れて来い。戦が近いのだ」

 「・・・・分かりました」

 トボトボと帰っていく豊久を見ながら、義久は心の中で「家久は出家してしまうかもしれん」と思った。





 佐土原城は日向最大の山城。

 余談だが、南九州の『城』は城というより『御館』と言ったほうが良い。

 島津家は貴久まではちゃんとした防衛能力がある清水城に本拠地を置いていたが、天文十九年(1550年)のときに貴久は今の本拠地である内城に移転した。理由はいろいろあるが、狭くて行き来が辛い山城よりも、比較的広くて住みやすい平城のほうが都合的に良かったのだろう。

 これ以降、島津家は大きくて立派な城は作らず、質素で暮らしやすい屋形作りの平城を好むようになる。





 佐土原城に通じる山道を歩きながら、豊久はイライラしていた。

 確かに山城は防衛能力に優れているが、行き来が辛い。それに引き換え平城は楽で良い。

 豊久は心の片隅で、この山をぶち壊し、平地に館を移転したいという気持ちに駆られていた。





 ようやく佐土原城の家久邸に到着。

 館に近づくと、笛の音が聞えてきた。

 「豊久様、お帰りなさいませ」

 下人が何人か出迎え、豊久は家久の部屋に向かった。





 部屋の中には家久と、妻のふうが笛を吹いていた。

 「母上」

 声をかけると、ふうは顔を上げて豊久を、次に寝転がっている家久を見た。

 「母上、父上とお話があります」

 ふうは何も言わず、立ち去った。

 部屋には家久と豊久の二人だけ。だが、寝転がっている家久の背中からは明らかに不快な色が滲んでいた。

 「父上、内城の伯父上が出頭しろと言っております」

 「・・・・」

 「戦ですよ、父上」

 「・・・・」

 「私も連れて行ってもらえるのでしょう?」

 「・・・・」

 かたくなに無言を通す家久に、豊久も困ってしまった。仕方なく畳に触れたり、庭を見る。

 「お前は戦に出たいのか?」

 突然の質問だった。

 「はい」

 「なぜだ?」

 「武士は戦をするものです」

 「父は時々、武士を辞めたくなる」

 「戦が嫌いになりましたか?」

 「・・・戦で父は勝ち続けた。だがいくら勝ち続けても、終わらぬ。いくら人を殺しても、乱世は終わらぬ。お前は戦のない世を考えたことがあるか」

 「いいえ」

 「戦のない世を、父は夢見る。争いのない、平和な天下。・・・それを実現できる数少ない人間が、織田信長だったと今更ながら思う」

 「しかし、彼は死にました」

 「そうだ、死んだ。これでまた乱世は続く。また殺し合いの連続だ」

 豊久は父の言っていることが理解できない訳ではなかった。だが、家久の言い分はただの逃げ口上に過ぎないことも、分かっていた。

 「父上、戦はどんな時代でも終わりません。それが人の宿命だからです。その現実から眼を背けて、何が変わりましょう?古来より人は争い、その争いに悲観しながらも強く生きてきました。私が知っている父はそんなに弱い人だったのですか?武士が戦をしたくないというのは単なるわがままです。さあ、内城に行きましょう!父上にはまだやるべきことがあります。いつまでも眼を背けてはいけないのです!」

 息子の気迫の篭った言葉に、家久は初めて豊久を正面から見た。





 内城に集結した島津軍は、まずは出水の八代港を目指して出発した。

 八代港から島原南端の原城に入り、そこから陸路を通って日野江城の有馬晴信と合流する手はずなのだ。

 ただ、時間が足りなかったことと、それぞれの戦線を維持するために島津軍が用意した援軍はわずか三千人だった。

 「家久済まぬ。三千でやれるか?」

 心配そうに聞く義久に、家久は笑いかけた。

 「心配ご無用。その数で十分です・・・義弘兄さんは?」

 「あやつは任地を離れられん。代わりに忠長をお前の副将につける」

 「分かりました。では土産として、隆信の首を持ってきましょう」

 義久は別の意味で驚いた。ここまで強気な家久は初めて見たのだ。

 「そ、そうか。それでは、気をつけてな」

 「はい、行ってまいります」

 島津家久が率いる三千は、八代港を目指して出発した。





 北薩摩・出水城では既に島津義虎と樺山久高が待っていた。

 「家久様。お待ちしておりましたぞ」

 「軍船の用意は整っておりますが、今月の海は荒れているので心配です」

 家久は馬を降り、二人に軽く挨拶してから城に入った。





 軍議には主だった武将と息子の豊久も出席した。

 「まずは軍をいくつかに分けて海を渡ろう。樺山殿を先鋒とし、原城に向かうのだ」

 忠長が口を開いた。

 「龍造寺軍は三会城を陥落させたものの、どういうわけかそこに駐屯しているようです」

 「結構。あちらがモタモタしている間に我らは有馬軍と合流できる」

 「有馬軍の総勢は三千、こちらも三千。合わせて六千の軍勢で三万の龍造寺軍に勝てますかな?」

 島津義虎が的確なことを言う。

 「三万ではなく、もっと多いと聞いていますぞ」

 不安がる家臣の言葉にも、家久は動じない。

 「戦に大切なのは勇気と知恵だ。諸君がその二つを忘れなければ、我々は必ず勝つ」

 普段とは違う強気な家久に、全員が安心と畏怖を感じた。





 しばらくすると、五百人規模の手勢を率いた赤星統家が到着した。

 家久に謁見した赤星は、全身から闘志がみなぎり、明らかに興奮していた。

 「島津殿、よくぞご決断なされた。この上は我らも家久殿の配下として戦います。何としても龍造寺隆信を討ち果たしましょうぞ!!」

 悪くない覇気だと家久は感じた。と同時に危険でもあると思った。

 恨みや憎しみにかられた者は軍紀を乱すことがある。彼らを上手く制御できるかどうかも、この戦にかかっている。





 三月二十二日 夜半

 八代港に島津軍三千が入り、それぞれ乗船した。

 樺山久高は海を見た。穏やかではあるが、きっと荒れる。

 直感だった。海ばかり見てきた男の。

 久高はお抱えの船乗り達に激励の言葉をかけた。

 「野郎ども!いいか、何としても俺達を島原に渡らせるんだ。海の男の意地を見せてくれ!」

 男達は一斉に叫び、奮起した。





 だが一方で、士気が落ちている者も。

 「うえ・・・おうぇ」

 「大丈夫ですか?忠長殿」

 「無理、もう無理。陸地はまだか?」

 「まだ出港してもいません」

 島津豊久は忠長の背中をさすりながら、これからのことが非常に心配になっていた。



 第五十二章 完


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