戦国島津伝




 第五十六章 『運命の歯車』

 天正十四年(1586年)

 北九州全域を支配化に収めるため、島津義久は北伐軍を組織した。

 同じ頃、天下統一を進める羽柴秀吉は太政大臣に任命され、名前を豊臣秀吉と改めた。





 四国平定を成し遂げた秀吉は細川幽斎・千利休を九州に派遣、島津家に最後の降伏勧告を行った。

 結果は・・・失敗。

 島津義久は秀吉の要求を拒否し、豊臣と島津の対立は決定的となる。





 島津家の圧迫に苦しむ豊前・豊後の大友宗麟は、筑前に残された岩屋城・立花山城を秀吉に献上し、息子の義統と共に豊臣家の配下となった。





 天正十四年(1586年)正月

 島津義久は日向方面と肥後方面からの進撃を開始したが、二月になって再び検討し直し。

 なかなか決断しない義久に、家臣達は不満を募らせた。

 「殿は何を考えているのか・・・筑前の秋月殿も首を長くして待っているのに」

 島津忠長はみんなに聞えるように不満を口にする。だが誰もとがめない。

 「豊臣秀吉は四国の長宗我部元親をわずか数週間で降したらしい。それに中国の毛利も奴に屈したらしいぞ」

 上井覚兼、伊集院忠棟などの文官は全員押し黙っている。

 「モタモタしていると、中国方面から毛利勢が攻め寄せてくる。いったい殿は何を悩んでいるのか・・・」





 旗本を務める種子島久時は、今年で十八歳の若武者。

 彼は義久の部屋の前にじっと座って動かない。

 そこに、北郷時久がやって来た。

 「殿はここか?種子島」

 「はい」

 「では入るぞ」

 中に入ろうとする北郷を制止させる種子島。

 「いけません」

 「なにぃ〜?」

 ギロリと睨むが、種子島は怯まない。

 「誰も中に入れるなという仰せです」

 「俺を誰だと思っている。島津家忠孝の一番武者、北郷時久だぞ」

 「よく存じております」

 「ならば中に入れろ、俺は殿に用がある」

 「なりません」

 それでもかたくなに北郷を制止する種子島。意地でも中に入れない気だ。

 「・・・・・」

 睨みながら対峙する二人。





 部屋の中では、義久が一人で座っていた。

 目を閉じて、冥想にふける。

 (もうすぐだ、もうすぐ九州を統一できる。何も迷う必要はない、だが、しかし・・・)

 人間、最後の大詰めになると慎重になるものだ。義久は心の底から沸き立つ闘志を抑えながら、戦略のイメージを作り上げ、それを崩し、また作り上げることを繰り返した。





 部屋の前で睨み合っていた二人は、結局北郷が根負けした。

 「ちっ」

 ズカズカと廊下を去る。

 「・・・ふぅ」

 種子島は立ち去る姿を見ながら、初めて体を崩した。

 ガラッ!

 いきなり障子を開けて義久が顔を出し、廊下の奥を見ながら言った。

 「誰が来ていたのだ、種子島」

 「北郷殿です。何やら怖い顔で」

 「あいつか・・・まったくしょうがないな」

 「何しに来たのでしょう?」

 「わしがなかなか出陣の決意をしないから、怒っているのよ。あいつは根っからの武人だからな」

 「殿、出陣はするのでしょう?」

 「うむ、まあ、な」

 「では何をためらっているのです?」

 「ためらっているのではない、ただ・・・」

 そこまで言って、義久は種子島を睨んだ。

 「お前が関与することではない」

 言われた種子島は、それこそ体が飛び跳ねた。

 「は、はい!失礼しました!」

 義久は厳しい顔で再び部屋に篭る。





 再び戦略を練り、それを崩す作業を繰り返す義久。

 だが頭の中にあるのは、ときのことだった。

 正月

 ときが義久の部屋にやってきた。何やら神妙な顔をしている。

 「どうした、とき?」

 妻はいきなり切り出した。

 「殿、殿は豊臣殿と戦をするのですか」

 「豊臣?ああ、豊臣秀吉のことか、当然だ。奴は我が家を潰す気だ」

 「そうでしょうか・・・」

 暗い顔になるとき。今日は様子がおかしい。

 「何が言いたいのだ、とき」

 「私は、私なりに豊臣家のことを調べました。既に天下の半分を手中にし、その勢いは雲を掴むほどだと聞きました」

 「・・・そうだな、確かに豊臣の家はいま盛んだ。多くの大名が奴に膝を屈している」

 「私は怖いのです。古来より、時勢に逆らった家は滅びました。頭を下げるのをよしとせず、自分の意地を貫いて滅びました」

 義久はときが何を言いたいのか、分かった。それでも、あえてしゃべらせた。心の怒りを抑えて。

 「武士にとって、おのれの意地を通すことは誇りでしょう。しかし、女は、意地よりも大事なものがあるのです」

 「つまりお前は、豊臣に屈せよと言うのだな?」

 「島津と豊臣・・・冷静に両方を見れば、どの家が強いか一目で分かります。この上は良い条件で豊臣殿と話し合いをしたらどうでしょう」

 その言葉に、義久は溜めていた怒りを吐き出した。

 「黙れ!!」

 ビクッとときは身震いしたが、踏み止まった。

 「九州を統一し、守りを固めればいかに勢いのある豊臣家でも手出しはできぬ。見ているがいい、わしは豊臣を打ち負かしてみせる!」

 「確かに、一度や二度の戦では勝つこともできましょう。ですが、殿は永遠に豊臣家と戦うおつもりですか?豊臣が本気になれば、数十万の軍勢を動かせるのですよ。四国の長宗我部殿もそれで負けました」

 「数十万がどうした!九州にまで出陣したその人数を養う兵糧はどこから調達する!我が島津家領内にまで来る余裕はない!」

 「長宗我部殿の末路を見てください。豊臣家と戦い、敗北して降伏しました。許された領地はわずかに土佐一国のみ・・・負ければそういう運命が待っているのですよ」

 「お前に言われなくても、分かっている!それが戦国の世の習い、戦の現実じゃ。だが島津は負けぬ、秀吉のような、成り上がり者には決して負けはせぬ!」

 ときは悲しそうに首を横に振った。

 「長宗我部殿はまだ運が良いほうです。普通ならお家断絶、みんな離れ離れです。私は、妻としてあなたに・・・豊臣家との和平を望みます」

 「貴様!」

 振りかぶった拳を見て、きつく眼を閉じるとき。だが、義久はゆっくりと拳を下ろした。

 「・・・出て行け」

 ときは両目に涙を溜めながら、一礼して去っていった。





 その日以来、島津義久は部屋で考えるようになった。

 毎日毎日、忘れようと思っても、妻から言われた言葉が頭をかすめる。

 「何故だとき。お前はわしの夢を見守ってくれたはずではなかったのか?」

 頭を抱え、苦悩する。最愛の妻から面と向かって「戦をするな!」と言われたのだ。「戦をすれば、島津は滅びる」・・・ときはそう言っている。

 「豊臣がどうした。わしは負けぬ、いつでも勝って来た」

 義久がいくらそう思っても、ときの言葉が離れない。

 頭に浮んでは消えて、また浮んでくる負の思い。

 『豊臣は天下一の大勢力』・『負ければお家断絶』・『今ならまだ間に合う』

 外を見ると、既に真っ暗だった。





 そんな中、島津家に大事件が届いた。

 筑紫広門が裏切り、筑前の宝満城を高橋紹運に返したというのだ。

 「筑紫広門は娘を紹運の次男の嫁にやり、親戚関係を作りました。いまは岩屋城にいるようです」

 「・・・そうか」

 「殿、もはや猶予はなりません。すぐに北伐を開始して、高橋紹運と筑紫広門を蹴散らすべきです」

 「ああ、分かっている」

 「兵は神速をたっとぶという言葉をご存知でしょう。兵を動かすときは迅速に行動すべし!いまこそ北伐軍を筑後と筑前に急行させるべきです」

 「ああ、そうだな」

 「まさか、もうここまでで良いと思っているのですか?」

 「・・・・・」

 「殿!もう後戻りは出来ないのです。散っていった将兵のためにも、何としても九州を統一し、天下を!」

 人は夢を見る。侍になりたい者、一国一城の主を目指す者、天下を狙う者。上井覚拳を始め、主だった家臣は全員、天下への夢を義久に託していた。

 その者達の願いを、夢を、壊すことは出来ない。

 (・・・そうだ、もはや止められないのだ。九州を統一して天下を目指す。島津が生き残る道はそれしかない!)

 ときの言葉も、様々な不安も、義久は振り切って叫んだ。

 「兵を集めろ、覚兼!!」

 「おお!」

 (勝つのだ。大友に勝ち、豊臣にも勝ってみせる!)

 運命の歯車が、いま動き出した。





 天正十四年(1586年)六月

 島津軍は東西からの同時侵攻作戦を開始した。肥後から筑後に侵攻するルートは島津忠長を総大将とした西軍二万。

 日向から豊後へ攻め込むルートには島津家久を総大将とした東軍三万。

 ここからは話を西軍に集中しよう。





 総大将・島津忠長は筑後(福岡県・南部)に侵攻するに当たり、まずは肥後(熊本県)で軍議を開いた。

 「さて、我々の目的は筑前に残された大友家の城。つまり岩屋城、宝満城、立花山城の三つを攻略することだが、その前に筑後の高良山を制圧しなければならん」

 副将の伊集院忠棟が口を開いた。

 「高良山には良寛という坊主が立て篭もっています。しかし心配することはありません。我々の降伏勧告にすぐに乗るでしょう」

 「なるほど、確かにこの軍勢を見れば当然だな」

 六月末、高良山は本当に降伏した。





 降伏した高良山に本陣を敷いた島津忠長は、陸と海から兵を集めることに専念した。

 「薩摩と大隈、肥後と肥前、それに筑後からも次々に兵が集まっている。忠棟、どれほど集まったら進軍を再開しようか?」

 「そうですな、五〜六万ほど集まれば十分でしょう」

 「五、六万か・・・はははは、それだけあれば、大友家など今年中に降伏させてくれるわ!」

 進撃して叩き潰す!

 忠長の頭の中にはそれしかなかった。



 第五十六章 完


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