戦国島津伝




 第六十八章 『泰平寺』

 伊集院忠棟、島津家久の降伏で日向国を手に入れた豊臣は、いよいよ薩摩国の川内に侵入してきた。

 高城の山田有信、大口城の新納忠元は完全に城を包囲されて動けない。

 義久は決断を迫られた。

 (決戦か、降伏か……)





 祁答院 虎居城

 島津歳久はわずかな兵を叱咤し、男も女も全て武装させた。

 「歳久様!籠城の準備、万端整いました」

 側近の報告に歳久は頷く。

 「拙者達は刎ねられる首はあっても、下げる首はない!この城と共に、豊臣の兵を地獄に叩き込んでくれる!!」

 「はっ!我々も最後まで、歳久様に従いまする!」

 義弘のような武勇は無くても、歳久は兵達に人気があった。決して挫けない不屈の豪気。それを持っていたからだ。

 「つづみ、女達の用意は?」

 既に薙刀を構えて武装していた歳久の正室、つづみが進み出る。

 「いつでも、戦えます」

 「そうか……すまん」

 つづみは夫を下から見た。その顔は、どこか穏やかだ。

 「いいえ、私は満足ですよ」

 歳久は妻に背を向け、歩き出す。だが、歳久は不意に口を押さえて膝を付く。

 「うっ!」

 「あっ、大丈夫ですか!?」

 「……何でもない。案ずるな」

 急いで立ち上がる歳久。その口からは、血が流れていた。

 (頼む。もう少し待ってくれよ)





 戦うのか、降伏するのか。

 内城ではその選択を巡って議論が白熱していた。

 「もはや忠棟殿、家久様が降伏して防衛線はガタガタ。これ以上の抵抗は無意味であろう!」

 「まだ薩摩と大隈が残っている。何をして防衛線はガタガタと言うのか!」

 「敵は20万の大軍。しかもほとんど無傷。ここはまだ余力の残っているうちに降伏し、お家の安泰を図るのが上策ではないのか!」

 「島津の兵は名を惜しむが死は惜しまん!豊臣のような百姓上がりに頭を下げるなら、それがし腹を切る!それに敵は20万という大軍を、遠い大阪から出陣させている。近いうちに兵糧が無くなるのは確実ではないか!」

 こういう具合に、話し合いは遅々として進まない。

 義久は上座に座ったまま、じっとして動かない。捨てがたい思い。それが彼を縛る。

 武士の面子、誇り、当主としての重荷。それらがこの重要な席で、義久の口を閉ざす。





 「大変です。豊臣から使者が来ました!」

 その報告に、今まで議論していた家臣達が黙る。

 「豊臣から……」

 「使者は、伊集院忠棟様だそうです」

 「なに、伊集院忠棟!あの裏切り者が、どの面下げてこの場に来るのだ!」

 武闘派の家臣が息巻く。彼らにとって伊集院忠棟は、恨んでも恨みきれん相手だ。

 「殿、いかがしましょう?」

 「武士として、敵方の使者は通すのが礼儀。会ってみよう」





 しばらくして、伊集院忠棟が現れた。左右からの視線を気にせず、堂々と義久の前に座る。一瞬、周囲から音が消えた。

 「久しいな、忠棟」

 その言葉に、忠棟はゆっくりと頭を上げ、義久を正面から見つめる。

 「このような形でお会いすることになろうとは、無念です」

 「……そうか」

 「なぜ私がこの場に来たのか、お分かりですね?」

 「わしに降伏を勧めに来たのだろう」

 「はい」

 途端に周囲から小声で罵声や非難の声が飛ぶ。明らかに聞える声で言う者もいる。

 「静まれ」

 義久の声に周囲が黙り、忠棟が再び口を開く。

 「関白秀吉は、お家の存続を約束しております。殿が降伏すれば、兵は引き揚げると」

 「…………」

 「殿が根っからの武士であることは、よく分かっております。しかし、もはやこれ以上の戦争に意味がありましょうか?既に全国の大名はことごとく秀吉に屈し、残っているのは九州の我らと東北の大名のみ」

 「…………」

 「将兵は疲れ果て、民は混乱しています。今この機会を逃せば、島津のお家は滅ぶでしょう。どうか、どうかご英断を!!」

 忠棟の悲痛な叫び。主家の存続を願う心。どれも、義久の胸に届くものではない。周りを見ると、武闘派の家臣達が顔を真っ赤にして怒っている。

 降伏派の家臣達は額に汗を滲ませ、ドキドキしながら様子をうかがう。

 義久は可笑しくなった。やっと、この場でゆっくりと自分に向き合える気がした。不思議な静寂が、彼を助けた。





 この瞬間、全ては自分の手中にある。決戦、降伏、滅亡…………。

 残された選択肢。何が一番正しいのか。何が島津の家に相応しいか。

 頭に浮ぶ弟達。

 義弘、歳久、そして…………家久。

 無断で降伏することで、自分に何を示そうとしたのか。答えは、分かっている。ただ認めたくなかっただけ。

 「家久様も、殿のご英断をお待ちしております!」

 家久の名が出たとき、わずかに義久の顔が動いた。

 (迷いを断ち切り、未練を捨て、この言葉を口にしろと言うのか、家久)

 義久は遂に口を開いた。

 「全ては、忠棟に任せる」





 その言葉の意味を、一瞬で理解した者は少ない。忠棟自身も、周囲の家臣達も、体を硬直させる。

 「と、殿。今何と?」

 震える声で一人の家臣が問いかける。

 「忠棟に任せると言ったのだ」

 ようやく義久の命を飲み込んだ忠棟が、ゆっくりと頭を下げる。その両眼からは、熱い涙が数滴落ちた。

 「し、しかし。殿!」

 「決定である!!」

 武闘派はもちろん。降伏派の家臣達も泣き出した。

 周囲が泣き声を上げる中、義久は微笑する。あまり感情を表に出さない男にしては、どこまでも優しい顔。

 (呆気ないものだ。武士の一生とは。……家久、これで良いのか?)

 この瞬間、義久は戦乱から解放された。





 5月6日

 伊集院忠棟、伊集院久春、平田光宗など70余名を連れて島津義久は鹿児島を発った。

 「雪窓院に向かうぞ」

 義久の母である入来院氏が眠る菩提寺。そこが雪窓院。

 寺の住職は義久の訪問に眉一つ動かさず、丁寧な物腰で奥に誘う。

 「こちらでございます」





 雪窓院の奥に安置されている仏像。その前で手を合わせる義久。

 母親の雪窓夫人は、義久が若い頃に死んだ。美しい母だった。

 南国の女に見られる褐色の肌。切れ長の瞳。いつも優しそうに微笑んでいた。

 そんな母の面影を思い出しながら、義久は住職を呼んだ。

 「すまぬが、頭を剃ってくれぬか」

 「承知しました」





 島津義久は母の菩提寺で剃髪。自らの名を『龍伯』と改めた。

 伊集院忠棟、平田光宗、伊集院久春、島津忠長なども剃髪。

 そのまま一行は雪窓院で一泊し、再び出発。





 5月8日

 豊臣秀吉の本陣。川内の泰平寺に到着した。

 全身を黒衣で覆い、静かな足取りで本陣に入る義久。頭には布が巻かれている。

 「豊臣秀吉……関白様に会いたい。我が名は島津龍伯」



 第六十八章 完


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