戦国島津伝
第六十九章 『最後の意地』
5月8日
島津龍伯は豊臣秀吉に降伏した。だが、それは島津家全体の降伏に繋がるわけではなかった。
真幸院の島津義弘は各将兵を鼓舞し、秀吉に対抗する構えを見せた。
彼を憤激させたのは、秀吉が龍伯に対して「薩摩一国を安堵する」という命令を出したからだ。
北九州は仕方ないとしても、島津家は古来より『三州太守』の誇りがある。それに今まで抱えた家臣達を、薩摩一国だけでどうやって養っていく。
義弘の大きな賭けだった。
伊集院忠棟が龍伯に詰め寄る。
「領内では義弘様を始め、多くの者達がいまだ城を明け渡しません。このままでは関白様のご機嫌を損ねてしまいますぞ!」
龍伯は考える。
(秀吉は大坂に帰りたいのではないか?ならこの状況、こちらにとって好機かもしれん。義弘、歳久、お前達はそれを見越して……)
「龍伯様!」
「ああ、分かっている。では忠棟、秀長殿の陣に向かってくれ」
「秀長殿の陣に?」
「そうだ。そしてこう言うのだ。現在抵抗を続けている者達は家中でも名の知れた猛者である。彼らを降伏させるには、それ相応の対価が必要だとな」
「……承知しました」
龍伯の真意を理解したのかしないのか、忠棟は仏頂面で部屋を出た。
豊臣秀長は伊集院忠棟の言葉に興味を示した。
「なるほど、確かに島津殿からすれば、兄のとった処置は納得できぬことかもしれん」
秀長は相手方の作戦を読んでいたが、彼としても九州征伐は早く終わらせ、兄を大坂に帰したかった。
「忠棟殿。泰平寺の兄に書状を送っておくと、龍伯殿に伝えてくれ」
「ありがとうございます」
間も無く、島津龍伯は泰平寺に呼ばれた。
(果たして勝つか、負けるか)
寺に入り、白洲に敷かれた茣蓙(ござ)の上に座って龍伯は平伏する。
「関白様である」
側近の言葉に龍伯は緊張する。汗も流れる。何とか顔だけは落ち着かせた。
「龍伯だな、よう来た。顔を上げよ」
ゆっくりと、顔を上げる。目の前の上座には豊臣秀吉が座っている。
(相変わらず、小柄な体格をしている)
人の良さそうな顔。小さな体。派手な衣装を着こなしきれていない男。それが秀吉。龍伯が降伏した天下の王だ。
その男が声高に話しかける。
「秀長からの書状によると、そちの弟達がこの秀吉に不満を持っているという。訳を述べよ」
「はい。恐らく弟達は、関白殿下の当家に対する領地配分に不満を持っていると思います」
「ほう、それで?」
「初代島津家の当主、島津忠久は三国守護の要職に任じられました。弟達はその栄華を忘れられぬため、このような抵抗を……」
「なるほど、それでそちはどうすれば良いと思う?」
「関白殿下のご希望とあれば、この龍伯、身命を賭けて愚弟達を説得する次第です。それが叶わぬなら、一戦も辞さず」
「なるほど、そちが弟達と戦うのか……。しばし待っておれ」
秀吉は奥に引っ込んだ。龍伯はその間、気が気でない。
再び現れたとき、秀吉は言った。
「島津の仕置き、考え直すことにする。大隈一国、日向の諸県郡を新たに加える。その旨をそちが弟達に伝えよ」
龍伯は一瞬体を硬直させ、次の瞬間には頭を勢いよく下げた。
「ははぁ!ありがたきご温情、この島津龍伯、生涯忘れません!!」
「うんうん。そうかそうか。龍伯は殊勝な者じゃな」
ケラケラと笑う秀吉に対し、龍伯も頭を下げながら微かに笑った。
(……勝った)
勝因はやはり、秀吉は早く大坂に帰りたかったこと。ここで島津に恩を売り、うまく懐柔しようとする算段があったためである。
楽しそうに笑う天下人。腹の底で微笑する薩摩の王。
九州征伐で真に勝利を手にしたのは、果たしてどちらだったのか……。
数日後 島津龍伯は弟達の説得に旅立った。
「もう少しで飯野城です」
種子島久時が先頭を馬で行き、龍伯を先導する。龍伯の後ろには多くの家臣団が付き従う。
「飯野城か、わしが直接行くのは本当に久し振りだな」
「義弘様は、この仕置きに納得するでしょうか?」
平田光宗が馬を寄せて龍伯に問う。その質問に、龍伯は鼻で笑う。
「説き伏せるしかあるまい」
真幸院 飯野城
長年義弘が治めてきた土地であり、居城。龍伯が中に入ると、武装した男達が一斉に頭を下げた。だが中には、龍伯に敵意の眼を向ける者もいる。彼の心は、そのまま義弘の心であるようだ。
本丸に近づくと、体格の良い武将が待っていた。島津義弘だ。
「義弘……」
「…………」
妙な兄弟の再会だった。
奥に通された龍伯は、上座に座らなかった。
「この城の主はお前だ、お前が上座に座れ」
「城主である前に、俺は兄者の弟。上座に座るのは兄者です」
「違う。今のわしは豊臣の使者だ。使者が上座に座る道理はない」
「……何でそんなことを言うのだ」
義弘は何時の間にか目に涙を溜めていた。龍伯は落ち着いた口調で弟を制した。
「頼む。義弘」
やがて、しぶしぶ義弘は上座に座った。
龍伯はこれまでの経緯を話し、秀吉が薩摩一国から大隈と日向諸県郡の領地を安堵してくれることを述べた。
「お前のおかげで、島津は救われた。礼を言う」
頭を下げる龍伯。そのとき、義弘は叫んだ。
「下げるな!!」
誰もが首をすくめる一喝。だが、龍伯は動じない。黙って下を向く。
「俺の前で、頭を下げるな……」
遂に義弘は片手で顔を覆った。
「日向全域の領土回復は果たせそうにない。恐らく秀吉にとって、これがギリギリの譲歩だろう。義弘、城を明け渡せ。恨むなら、このわしを恨め」
「……どこの世に、兄を恨む弟がいる。……すまぬ兄者、すまぬ……」
掠れた声で謝罪する義弘。龍伯は黙って見つめ続けた。そして心の底から思った。
(わしは、本当に良い弟を持った)
龍伯が説得しなければならないのは、義弘だけではなかった。
日向庄内 都城
ここは北郷時久の領地である。
北郷は龍伯が来ると知ると、城外から迎えに出た。
「殿!」
「北郷、久しいな」
「殿、頭を剃ったのですか!」
「ああ、出家した。入道名は龍伯だ」
北郷は馬上から降りて龍伯の前にひざまずくと、いきなり大声で泣き出した。
子供が泣くような、すごい声だった。
日向 高城
秀吉の九州征伐が始まってから今日まで、この城を守り続けたのが城主の山田有信だ。
「有信殿は本当にすごいと思います。わずかな兵で豊臣軍を防ぎ続けたのですから」
先導を行く種子島久時。彼は有信を尊敬していた。普段は飄々(ひょうひょう)としているのに、戦闘では驚くほどの采配を振るう島津の智将。
島津龍伯の一行は高城の城門を通った。内部はいたる所ボロボロである。
「すごいですね。砲撃の跡まである」
「そんなに珍しいのかい?」
久時が前を見ると、二の丸の城門から山田有信が出てきた。
本丸に招かれ、有信は当然のように上座を龍伯に勧める。
「わしは豊臣の使者だ。上座にはお前が座れ」
「……そうですか」
有信はしばらく思案した後、ゆっくりと上座に座った。
「用件は分かっているな」
「もちろんです。この有信、殿のことなら何でもお見通し」
白い歯を見せて笑う有信。だが彼の顔には疲れと心労がありありと見える。
「……有信、疲れたか?」
「ええ、疲れ果てましたよ。はははは」
「ふふ、そうか。はははは」
お互い、声を上げて笑った。もうそれ以上の言葉はいらなかった。
外からは、夕焼けが寂しそうに沈んでいた。
5月18日 秀吉は泰平寺を発った。
薩摩郡の山地から大口を経て、肥薩国境を越えて球磨郡に入る予定だ。
途中にあるのは祁答院の虎居城。島津歳久の居城である。
案内役として秀吉に従う龍伯は、歳久が駄々をこねないか心配だった。
既に書状で、義弘達が降伏するのは伝えている。この上秀吉に敵対するのは危険だ。
だが龍伯の予感は的中した。歳久は秀吉が虎居城に来ることを
「迷惑である!」
と言って拒絶。しかも病気と称して顔も見せなかった。その代わり、案内役として家臣を数名送ってきた。
この歳久の無礼な態度に龍伯は何度も気を揉んだが、秀吉は大して気にしてはいないようだった。
龍伯がホッとしたのも束の間。
歳久の家臣が『九尾の険』と呼ばれる交通が不便な山道に秀吉を案内したとき、大事件が起きた。
崖の上から矢が飛んできたのだ。数本の矢は秀吉の護衛兵などに当って負傷させ、秀吉自身が乗る輿にも何本か刺さった。
「何者か!」
すぐに追っ手が放たれたが、襲撃者を捕まえることは出来なかった。
「関白殿下、すまぬ。何と言ってお詫びすればよいか」
「はははは、薩摩では猪も矢を射るのか」
寛大にも秀吉はこの事件を許した。
龍伯は誰がこんなことを仕組んだのか、分かっていた。
(歳久、そんなに秀吉が憎いか……)
島津歳久が秀吉を憎む理由。
それは先の合戦で、養子の忠隣という跡取りを失ったことが大きかった。しかも秀吉は龍伯が降伏してから、まるで家来のように龍伯を扱う。それが歳久にとって、我慢できなかったのかもしれない。
歳久の領地を抜け、次に秀吉が着いたのは大口城である。
「あれが鬼武蔵の居城か、龍伯?」
「はい、新納忠元の城です」
島津家随一の猛者、新納忠元。兵の指揮能力、人望、武勇、どれも島津義弘に勝るとも劣らない。彼を降伏させることは、秀吉にとって自分の武威を示す絶好の機会である。
「どうすれば良いと思う?」
「忠元は律義者。それがしが説き伏せましょう」
「うむ、龍伯に任すぞ」
大口城に入ると、忠元が出迎えた。
「わざわざ殿にご足労願うとは、申し訳ありません」
そう言って忠元は平伏した。
「頭を上げよ、忠元。わしは豊臣の使者、遠慮は無用だ」
忠元は龍伯を奥に招き、上座を勧めた。
「さっきも言ったが、わしは豊臣の使者。上座には座れん」
「ではそれがしも座れません。主君を差し置いて家臣が上座に座る道理はありません」
「いや、忠元。この城の城主はお主だ。お主が上座に座ってくれ」
それでも、忠元は上座に座ろうとはしなかった。仕方がないので、お互い同じ位置で顔を合わせる。
「忠元、なぜわしがここに来たか、分かっているな?」
「降伏しろと、おっしゃるのですね」
残念そうに肩を落とす忠元。
「すまん。全てはわしが至らなかったのだ」
「殿の仰せなら従います。ですがその後、切腹することをお許しください」
「……武士の誇りか?」
「それもあります。ですがそれ以上に、殿から預かったこの城を、敵兵に踏み荒らされると思うと……情けなく、悔しく、……無念です」
両膝を握り締め、震える。鬼と言われた男。
「お前は本当に律義者だな。誰もがお前に憧れる。お前を目指す。その理由が改めて分かった」
龍伯は優しく微笑むと、諦めたように言った。
「そんなお前一人に、腹を切らせるわけにはいかんな」
「殿?」
「お前が腹を切ったら、わしも腹を切る」
「なっ!?なりません、それはなりません!」
「いいのだ、わしも腹を決めた。自分の我を通してまで、お前のような男を無駄死にさせたくない。……お前は、好きな道を選べ」
立ち上がり、忠元に背を向ける龍伯。
出口に向かおうと歩を進めた瞬間、忠元が勢いよく前に回りこみ、土下座した。
「申し訳ありませぬ!」
忠元は額を床にぶつける勢いで頭を下げ続ける。
「申し訳ありませぬ!申し訳ありませぬ!申し訳ありませぬ!」
「…………」
一方的な謝罪の言葉。次第に声が掠れ、涙声になった。それでも彼は、主君に謝り続けた。
「泣くな、忠元。お前はただ、だらしない主君を持ってしまっただけだ」
腰を下げ、片手を忠元の肩に置く。何時の間にか龍伯も、静かに泣いていた。
新納忠元は秀吉の陣に出頭した。
秀吉は喜び、彼に言った。
「忠元よ、この期に及んでもまだ、この秀吉に敵するか?」
すると忠元は威勢良く言い放った。
「この新納忠元、主君龍伯様が思い立てば、何度でも敵対してご覧に入れる!ですが、龍伯様が和睦されたのは真に残念無念!」
秀吉は忠元の男気に感服し、太刀を与えたという。
後々まで島津武士の見本となり続けた猛将、新納忠元。彼の降伏で、秀吉の九州征伐は事実上終わった。
その後…………。
5月19日
島津義弘と、剃髪して『一雲斎』と名を改めた北郷時久。高城の山田有信。彼らは豊臣秀長の陣に出頭し、降伏した。有信にとっては数十日の激闘に幕を閉じたことになる。
一時は九州全域を支配下に入れる直前までいった島津家。
彼らの長くて短い、豊臣家との戦争は終わった。
5月21日
島津義弘の次男、島津久保が京に向けて出発することが決まった。改めて豊臣家に恭順の意を示すためである。
見送りは義弘、実窓院、忠恒、千鶴が顔を揃えた。
「体に気を付けてな」
「しっかり栄養のある物を食べるのですよ」
「まあ、がんばってこい」
「お兄様、お元気で」
久保は家族の顔を一人一人見回し、ニッコリと微笑む。
「大丈夫。私は今年で14歳。立派な大人です。立派に勤めを果たしてきます」
しっかりとした口調。憂いのない顔。久保のたくましい成長に、義弘は眼を細める。
「では、またな」
5月25日
秀吉が九州を去った後、豊臣家は強かな外交を島津家に押し付けた。
まず龍伯から大隈国を取り上げ、改めて弟義弘に与えたのだ。これは『新恩』と言って、主君が家臣に新たな領地を与える際に使う手段。
義弘の権力を龍伯と同等にしようとしたのだ。
更に秀吉は島津家領土の処分に対する朱印状を発給。それを龍伯ではなく、義弘に渡したのである。その朱印状は大隈国と日向諸県郡の処遇について述べたものであり、龍伯は事実上、大隈国と日向諸県郡に一切の手出しが出来なくなった。
しかも朱印状が龍伯ではなく義弘に与えられたということは、島津家の当主を龍伯から義弘に切り替えようとしていることが分かる。
この出来事に驚いたのは龍伯だけではない。朱印状を受け取った義弘も仰天した。彼はすぐに朱印状を兄龍伯に送ったが、豊臣政権で幸先の悪いスタートとなってしまった。
九州征伐後、島津家の領土は次の通りになった。
島津龍伯 薩摩国
島津義弘 大隈国
島津久保 日向国諸県郡
豊臣政権下でこの領土をいかに守るか。島津家の新たな戦いが始まった。
第六十九章 完
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