戦国島津伝
第七十四章 『反逆』
薩摩に帰国した島津龍伯を待っていたのは、シャレにならない財政難であった。
「九州攻略で多数召抱えた家臣の俸禄。太閤(豊臣秀吉)殿下と戦争したときの費用。島津の台所は火の海でございます」
まさしくお手上げのポーズで溜息を吐く山田有信。本来龍伯への報告は筆頭家老伊集院忠棟の役目だが、彼は京に留まっていて不在だ。
「困ったな、これは」
黒衣に身を包む龍伯が顔を曇らせると、左側に座る有信に対して、龍伯の右側に座っていた新納忠元が進み出た。
「家中の財政難もさることながら、若い武士達の間では太閤殿下に対する不満が高まっております」
有信が眼を輝かす。
「おお、さすがは薩摩男児。良い気骨を持っているな」
「笑い事ではないのだ、有信。恐らく親から九州を席巻したときのことを聞いた子供が、そのときの栄光を懐かしんで……」
「忠元、その問題は深刻なのか?」
「若い者は分別を知りませぬ。それゆえ無茶を無茶だと気付かず、愚かな行動に移るかもしれません」
「いやいや忠元殿。そんな問題より当面は財政を立て直すことが先決でございましょう。このままでは我ら、明日から兵に食べさせるものにも困りますぞ」
有信がおどけて空の財布をヒラヒラさせると、暗い雰囲気だった場に笑いがもれた。
龍伯も忠元もつられて低く笑う。この後、島津家の方針は財政の立て直しに決まった。
薩摩国 祁答院 虎居城
島津歳久は一人、布団から天上を見つめていた。
最近、体に力が入らない。刀を持っても、筆を持っても、すぐに落としてしまう。
不甲斐無い。悔しい。情けない。
そんな激情が胸をかき乱す。体は弱っても、頭は冴えているのが逆に許せない。いっそ阿呆になってしまったほうが、どれだけ楽か。
「忠隣……」
豊臣秀吉との『根白坂の合戦』で戦死した婿養子を思い浮かべる。短気でバカだったが、憎めない奴だった。いつも大声を上げては妻を、つまり自分の娘を泣かせていた。
「もう、いないのか……」
歳久は眼を閉じた。暗い世界に意識を集中すると、懐かしい声が聞えた。
誰の声だったか。……ああ、思い出した。
「…………家久」
「あなた」
歳久が横を見ると、妻のつづみが覗き込んでいた。
「大丈夫ですか?外は雨ですよ」
「朝から曇っていたんだ。降って当然だろう」
「けど、雨は嫌です。土を飛ばして物を汚すのですもの」
「そうか、お前は雨が嫌いだったな。ふふ、ははは」
「何をお笑いになるのですか?」
「ははは、雨が止んだら、また、お前の大掃除が始まるのかと思ってな」
「殿もいい加減腰を上げてください。いつまでもこの部屋は片付きません」
「断る。まだまだお前の困った顔を見たいからな。ははは」
「はあ、なんという人でしょう。妻を困らせて喜ぶなんて」
「そうだ、わしの寝ている間、誰かこなかったか?」
「本田様が一度来ましたよ。あなたが寝ていると言ったら、帰りましたけど」
「本田か……」
「布団から出ないなら、私は奥で編み物をしときますからね」
「なあつづみ」
「はい?」
「寝ているとき、わしは何か言ったか?」
つづみは一瞬立ち止まり、歳久を振り返ると
「いいえ」
と答えて出て行った。
本田五郎左衛門が来たのはその翌日だった。本田は歳久直属の家来であり、かつて秀吉が九州征伐を終えて帰国しようとしたとき、矢を射掛けた男だ。
「歳久様、少々お痩せになったのでは?」
無精髭を撫でながら口を開く本田。歳久はしっかりと正座して彼を真正面から見つめている。
「本田……歳は取りたくないな。最近のわしは、飯も満足に食えぬ」
「何を情けないことを」
「いや、わしは長生きをしすぎている。死ぬ時期を見誤った老将ほど、哀れなものはない」
「お辛いでしょうが、まだまだ歳久様には生きてもらわねば。いまの若い武士達にとって、歳久様の存在は救いなのです」
薩摩国祁答院、つまり歳久領内の武士達は秀吉に対する不満が国内でもっとも強い。彼らは悪くすると町の往来で堂々と秀吉の悪口、不服を言う。歳久が豊臣政権に非協力的なのも、その運動に拍車を掛けていた。
『歳久様は跡継ぎを亡くされたので、秀吉に恨みを持っているはずだ。だから我々の気持ちも理解してくださる』
そんな空気があった。
特に歳久直属の家来、本田とその一味が裏で後押しをするものだから、もういつ不満が爆発してもおかしくなかった。
「昨年、関白職を甥の秀次に譲って太閤になった秀吉は、いよいよ増長して何かしでかす気だと聞いております」
「朝鮮への侵攻であろう」
「ご存知でしたか。左様です。秀吉はどうやら、朝鮮侵攻を目論んでいるとか……バカバカしい」
苦虫をかみ殺すように言葉を吐き出す本田。その表情は太閤秀吉に対する憤怒で満ちていた。
「聚楽第の建造、大阪城の建造、挙句の果てには黄金の茶室。元百姓は金持ちになるものではありませんな」
島津の人間に派手好きはいない。甲冑も、家紋も、生活習慣も地味で目立たない。城も山城ではなく、政庁としての機能を重視した平城である。彼らにとって、秀吉の行う事は全て『単なる金の無駄遣い』にしか見えていなかった。
「あんな男が天下人とは、世の中も変わりましたな。殿も義弘様も、ご苦労なことで」
本田の口調には、龍伯や義弘への皮肉もあった。
歳久は黙って頷き、本田の愚痴を聞いて過ごした。ペラペラと矢継ぎ早にしゃべる本田を見ながら、彼は思う。
(秀吉の天下は、長くないかもしれん)
天正二十年(1592年)
豊臣秀吉の朝鮮出兵が始まった。『文禄の役』である。
財政難に困る島津家家中は騒然となり、多数の家臣が内城に集まった。
山田有信は自宅から本当に匙(さじ)を持って来て、皆の前でそれを捨てた。
「匙を捨てるとはまさにこのこと。もう笑いしか出ませんな、わっはっはっはっはっ!」
龍伯は黙って京から届けられた書状を睨む。弟義弘から送られた書状の内容は、衝撃的だった。
『島津の武勇を天下に示す絶好の機会である。私は息子久保を連れて朝鮮に渡ります。急ぎ兵1万を送ってください』
「兵1万……」
新納忠元が唸る。この要請に泣いたのは島津家というより、それに従属する豪族達だ。
「龍伯様の九州攻略、太閤殿下との戦、小田原の合戦。立て続けの戦費と徴兵に、我らは日干し寸前でございます!」
龍伯は泣いてすがる豪族達を一人一人見ながら
「辛いのはわしも同じだ。心配せずとも、上方とよく交渉してみる。安心しろ」
「さすがは我らが盟主様!心強い!」
400年続く島津家と豪族達との繋がりは強い。彼らの気持ちをむげにすることは、龍伯も出来なかった。
「義弘様の要請、いかが致しましょう」
忠元が龍伯の顔色をうかがいながら言った。確かに義弘の要請は無茶だが、兵を出さなければ出さないで困ったことになる。
「時間を引き延ばすしかあるまい。言い訳は後から何とでもなる」
「言い訳ならこの有信が考えましょう。な〜に、無い頭も振れば何か出ましょう」
島津龍伯と家臣団はこうして、朝鮮への出陣を見送った。
数日後
肥前国名護屋城には全国の諸大名が兵を率いて結集していた。総勢19万の大軍である。
島津義弘、島津久保、島津忠長、種子島久時、長寿院盛淳が島津家代表として参陣した。とはいっても兵の数は1千人程度。1万人の軍隊を連れてきた小大名にもバカにされる規模だ。
「国許からは一兵も送っては来ない。……どうしたのであろうな」
島津忠長が不服を漏らす。彼は今回の戦で今度こそ若殿(島津久保)に大活躍をさせたかった。
そんな島津家代表団の気持ちを緩めたのは、島津豊久の存在である。
日向国佐土原城周辺を有する島津豊久は一種の独立大名。立場は島津義弘と同等である。だが彼は義弘を父とも兄とも慕い、教えを請う。そんな姿勢が、かつて島津家久の秀吉降伏から続いていた佐土原と薩摩島津家との険悪関係を改善させた。
「伯父上、ご壮健で何よりです」
深々と頭を下げる豊久。義弘は笑って手を振る。
「相変わらず堅苦しい奴だな、豊久。お前は大名なのだぞ?もっと堂々とせよ」
「私は成り行きで大名と呼ばれているだけです。心はいつでも、島津の臣です」
その言葉に、義弘の顔が引き締まる。
「そのようなことを言うな。お前の父の生き様を否定することになるのだぞ」
「父は、裏切り者です」
「家久は島津の家臣である前に、一人の男だった。違うか?」
「…………」
「少なくとも俺は、家久を誇りに思っている。お前も息子なら、死んだ父をよく見ろ」
豊久の眼に涙が浮ぶ。突然の父の死に、まだ心が追い付いていない。そんな気がした。
「お前と共に戦えるとは心強い限りだ。期待しているぞ、豊久」
「はい、佐土原の……父の名に恥じぬ戦いを、きっと」
再三に渡る出兵要請を蹴り続けた龍伯だったが、豊臣政権の奉行である石田三成が表に出てきたことでようやく重い輿を上げた。これ以上の引き伸ばしは、秀吉に睨まれる恐れがある。
それでも、龍伯の動作は遅いものだった。兵をちまちま送り、朝鮮への船も用意していなかった。
肥後国佐敷城は加藤清正の城である。この城に、名護屋行きの船を待つ名目で留まっている島津家家臣がいた。
その名を、梅北国兼。
彼は思う。
昔から権力者とは傲慢で、人の話を聞かない人種である。だから何をしても良いという錯覚に陥る。
「だから、その根性、我らが正す!」
梅北国兼は配下の兵達にそう叫んだ。もう我慢できなかった。
秀吉の度を越した数々の政策。島津家の財政難。更に今回の無謀な朝鮮出兵。
梅北だけではなく、島津家過激派の武士達の怒りが遂に爆発したのである。
「天下泰平の世を作りながら、自分でそれを壊す天下人秀吉!我らは我らの声を秀吉に聞かせるため、ここに立ち上がる。たとえ泥にまみれ、無残な最期を遂げようとも、悔いはない!」
「「「オオオウ!!!」」」
梅北の思いに呼応する武士は予想外に多く、世に言う『梅北一揆』の数は700ないし2000人に達した。彼らは怒涛の勢いで佐敷城を占拠し、九州全土を震撼させた。
いち早く梅北一揆を知ったのは、皮肉にも島津家だった。
内城で島津龍伯は天を仰ぐ。
「愚かなことを……」
新納忠元が拳を振るわせる。
「よほど、追い詰められていたのでしょうな。梅北……」
山田有信は普段見せない鋭い目付きで龍伯を見た。
「可哀想ですが、梅北の挙兵は太閤殿下に知らせるべきでしょう。他の大名に先を越されると、困ったことに」
龍伯は忠元、有信を交互に見ながら、静かに頷いた。
梅北達を追い込んだのは誰なのか。秀吉なのか、それとも、わしなのか?
出来ることなら頭を抱えて叫びたいが、龍伯に出来たのは、義弘からの『兵はまだですか?』という書状を破り捨てることだけだった。
第七十四章 完
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