戦国島津伝




 第八十五章 『西軍と東軍』

 慶長5年(1600)7月某日 夕刻

 大坂の島津家屋敷に石田三成の使者が訪れていた。

 「石田家家臣の若水右衛門と申す。本日は我が主より大事な用を仰せつかって参りました」

 相手をしたのは相良長泰という島津家の老臣。彼は警戒心を隠そうともせず、目の前の男を睨んだ。

 「失礼とは思うが、石田殿は現在蟄居中であり、もはや何の政治的権力も持ち合わせてはいない。それをお分かりか?」

 「もちろんでござる。実は我が殿は、このたび五大老の宇喜多秀家様のご意向により一時的な復権を果たしました。それがしがここに参ったのも、元々は宇喜多様の要請を受けた殿のご命令からなのです」

 「五大老の宇喜多様が!?」

 「作用です。それで……非常に言い難い事なのですが、島津殿の奥方や姫様達を、大坂城にお移り致したく、本日は……」

 「奥方様を移す!?またそれはなぜ?」

 「現在、天下は徳川様の上杉討伐なので再び物騒になり、何かと不穏な空気になっております。そこで一時的に、本当に一時的に、安全のために大名の妻子を大坂城に非難させよと我が殿……ひいては五大老の宇喜多様が仰せで」

 若水の殊勝な態度。それに五大老の宇喜多秀家という言葉に、相良は気を許した。元々彼は単純な男なのだ。

 「ううむ、なるほど、では奥方様にはわしからお話いたそう」

 「おお!相良殿、かたじけない」





 相良の言葉や若水の説得に、島津義弘の妻・実窓夫人は大坂城行きを承諾。翌日には亀寿姫や侍女達と共に大坂城に入った。





 もちろん、これは石田三成の策略であった。

 彼は大名の妻子を大坂城に人質として軟禁させ、無理矢理に諸将を自らの軍勢に加えようとしたのだ。

 また、三成は近江国に関所を設け、徳川軍に合流しようとした九州肥前国の鍋島勝茂、四国土佐国の長宗我部盛親を味方に引き入れることに成功していた。





 近江国 佐和山城

 この城に現在、打倒徳川を掲げた首脳陣が揃っていた。

 石田三成、宇喜多秀家、大谷吉継、小西行長など。小西は九州肥後国の南半分を治める大名で、元々は宇喜多家の家臣だった。今回の石田達反乱軍への参加は、旧主に当たる秀家が説得したためである。

 「鍋島殿、長宗我部殿は既に我らへの助力を約束している。このままどんどん味方を増やしたいものだ」

 秀家は半ば興奮していた。彼にとっては、全てがうまくいっているように見えたからだ。

 「五奉行の前田玄以、増田長盛、長束正家も協力するという。ふふ、これでもし大坂の秀頼様がご出陣していただければ、家康など造作もなく倒せる」

 その言葉に、大谷が釘を刺す。

 「恐らく、秀頼様のご出陣はない」

 「なぜそう思われる?」

 「お袋様(淀殿)は頭が良いお方だ。豊臣家が我らと徳川、どちらかに全力で味方することがいかに危険か……よく分かっておられる」

 「では、秀頼様は動かぬと?」

 「動かぬ、動かせぬ」

 今度は黙って下を向いていた小西が口を開いた。

 「秀頼様の件はとりあえず保留でよい。とにかく今は、誰がこの軍団の頭か、はっきりさせようではないか」

 軍団の頭……その言葉に、一同の顔が引き締まる。この並み居る大名を一つにまとめ、なおかつあの徳川家康と五分に渡り合える人物。

 全員が探るような眼で周りを見る中、三成が静かに言った。

 「わしに心当たりがある」

 「ほう」

 「中国の毛利輝元殿だ」

 「毛利だと!?」

 宇喜多が気色ばんだ。中国地方の安芸国を中心に勢力を広げた毛利家と、同じく中国地方の備前国を支配する宇喜多家は因縁の間柄なのだ。

 「毛利は先代の元就、息子の吉川や小早川でここまで来た家だ。既に奴らがいない毛利など、役に立つのか」

 大大名の毛利家にこれほどの大口を叩けるのも、宇喜多秀家が五大老の一角であり、毛利家の監視役としての務めを秀吉時代に彼が持っていたからだ。

 「毛利輝元殿がどれほどの人物かは正直分からん。だが、中国の毛利と聞けば多くの者が畏怖と賞賛で迎えるだろう。地理的にも、毛利殿が味方してくれるなら、西日本の徳川軍は無視しても構わん」

 「ううむ」

 考え込む、というより嫌そうに眉をひそめる秀家。理屈では分かっていても、青年には父の代から植え付けられた毛利に対する敵対心がある。

 「既に毛利家の安国寺恵瓊(あんこくじ えけい)とも連絡を取り、密かに輝元殿には出陣の用意をさせている」

 「…………他の者達はどうなのだ。毛利殿が我らの総大将でいいのか?」

 大谷や小西が頷くと、秀家は諦めたように三成に向き直り

 「三成殿…………満場一致で我らは毛利殿を迎えると、安国寺に伝えてくれ」

 と言った。





 この頃、京都に居た島津義弘は7月2日から17日まで宇喜多秀家、その次は石田三成から、度々反乱軍に参加するように要請されていた。

 (やはりこうなったか。しかし、あの徳川殿に反抗するとは、大胆というか無謀というか)

 無謀……その言葉は義弘に、ある種の感動を与えた。いま、宇喜多秀家や石田三成は、巨大な敵に立ち向かおうとしている。

 備前国57万石の宇喜多、近江国19万石の石田が、関東250万石の徳川家康に戦いを挑む。

 それは勇気か、無謀かと言われれば、間違いなく無謀であり、愚かな決意である。彼らの掲げる豊臣家の忠義、家康の独裁政治に対する批判。そんなものは、正直義弘にとってどうでもいいことだ。

 それでも、この老将の心を揺さぶったのは、石田達のような小さき者が、家康のような大きな者に無謀な戦いを仕掛けるというその一点。

 言うなれば、己の全てを賭けた挑戦。

 その途方もない彼らの決意が、今まで義弘を迷わせていた。

 (石田殿の仕掛ける大戦……もし石田殿が勝てば……わしや薩摩はどうなる……いやあり得ぬ、あの家康殿が負けるなど、想像もできぬ。あの男には不思議な力がある。天も見捨てはしないだろう)

 義弘は迷いを振り切るように三成からの書状を握り潰し、家臣に命じた。

 「伏見城に向かうぞ!」





 大坂に不穏な動きあり。

 その報告は、伏見城を守る徳川家古参の将軍・鳥居元忠にも伝わっていた。

 「何やら世が騒々しくなっているようじゃな」

 「会津に向かっている殿に引き返してもらうべきでは」

 「ふん、わざわざ殿のお手を煩わすことはあるまい。万が一の場合は、我らだけでこの城を守るのじゃ」

 「はっ!」

 襖を開けて、別の側近が入ってきた。

 「島津義弘様の使者が、城に軍勢を入れて欲しいと。家康様のご要請でもあるとおっしゃっています」

 「島津殿が…………そうか、そうだったな」

 元忠はしばらく城から空を眺め、それから静かに言った。

 「入れてはならぬ」

 「えっ!?」

 「島津殿は城に入れてはならぬ。帰ってもらえ」

 「な、なぜでございます」

 「……聞くな」





 島津家の使者は、この回答に困惑した。

 「なぜ帰れと?」

 「分かりませぬ。ただ、城には入れられぬと」

 「我らは徳川殿に、伏見城を守ってくれと頼まれて……」

 「お気持ちは察しますが、どうかご容赦を」

 「…………」





 島津義弘に怒りはなかった。ただ、鳥居元忠は面白い男だと思った。

 (恐らく鳥居殿は知っている。石田や宇喜多の暗躍を……それでもあえて知らん顔をし、城を自分達だけで守る覚悟なのだ……剛毅な男よ)

 いよいよ義弘が進退に困ったとき、彼にとっては予想外の報告が来た。

 「報告!奥方様が大坂城に入り、連絡が取れませぬ」

 「!!」

 老人は一瞬、言葉を失った。妻が大坂城に居て、連絡が取れない。

 つまり、その意味することは。

 家臣の新納旅庵(にいろ りょあん)が慎重に口を開く。

 「人質ですな。どうやら石田殿は本気のようです」

 人質、その言葉は義弘の胸をかき乱した。既に60歳を越えた老将軍にとって、最も恐ろしいのは、家族を失うこと。特に長年連れ添った妻を失うことは、耐え難い。

 (だが、石田殿に味方して、利はあるのか。やはり徳川殿に助力したほうが……しかし、伏見城には入れぬ……)

 旅庵は義弘が平静を装いながら、心中は散々に乱れていることを察した。

 (あの鬼神と称えられしお方が、女一人のために……)

 彼は微笑したが、それは主君を侮辱したからではない。どこか温かい、鬼の一面を垣間見たからだ。

 「鳥居殿は我らを城に入れず、誇りを汚した。我らは進退きわまり、致し方なく石田殿に与する。これでよいではないですか?」

 「…………」

 老将は沈黙した。





 7月17日

 石田三成は遂に挙兵を宣言した。

 同時に五奉行の前田玄以、増田長盛、長束正家は家康に対する弾劾状に署名し、全国に公布した。

 更に中国地方最大の大物・毛利輝元が動いた。彼はその日に大坂城西の丸に入り、そこを占拠。城内の豊臣秀頼を手中にし、石田方の総大将に就任した。

 事実上の西軍が結成されたのだ。





 島津義弘は最後まで迷いに迷ったが、結局石田三成の説得、そして伏見城からの援軍拒否、妻の人質という攻勢に折れ、西軍に参加した。

 彼の参上を最も喜んだのは、大谷吉継であった。

 「このようなことになって、貴殿には迷惑をかけた。すまぬ。この上は共に家康を討ち果たし、天下に名を残そうぞ」

 大谷はあえて「名を残す」と言った。豊臣家のためとは、言わなかった。彼は、この老人が決して豊臣家への忠義や、家康憎しで西軍に参加したわけではないことを知っていた。

 「大谷殿、何も言うな。この島津義弘、一度味方すると決めた以上、全身全霊でお主らに加勢する」

 大谷は閉じた瞼(まぶた)から涙を流し、感謝した。

 「せめて、せめてこの大谷が死ぬまでは、三成を助けてくれ。奥方や姫達の安全は、わしの名に代えても保障する」

 義弘と大谷は手を取り合った。彼の病で弱りきった両手は、戦国の世に散らんとする、最後の足掻きのように感じられた。

 (もうよい。わしの最後の相手が徳川殿なら、相手にとって不足なしよ)

 島津義弘、65歳の挑戦であった。





 下野国(しもつけのくに 現在の栃木県)小山

 徳川家康は側近の榊原康政の報告に、静かに眼を閉じた。

 「いかがしたのです?」

 近衛隊長の本多忠勝が身を乗り出す。

 「大坂で毛利輝元が挙兵したそうじゃ」

 「やはり……火が立ちましたか」

 「輝元を大坂に呼んだのは、石田三成だそうじゃ」

 「あの男、まだ我々に立ち向かうか!」

 康政が地図を睨みながら、力強く言った。

 「殿、もはや上杉討伐どころではありませぬぞ」

 「分かっている。まずは敵を知り、味方を増やすことじゃ」

 「敵軍の詳細はすぐにでも分かりましょう。大事なのは、我らに従う諸大名をいかに説き伏せるか」

 「説きはせぬ。ただ、真実を伝えるのみよ」

 「……御意」





 7月25日

 家康と共に会津に向かっていた福島正則、黒田長政、細川忠興、山内一豊などが徳川本陣に結集した。

 「何事ですか、家康殿」

 諸将を代表するように正則が口を開く。全員が緊張した面持ちで、家康の返答を待った。

 「実は、大坂で毛利輝元殿が挙兵した」

 「なんですと!?」

 「裏で糸を引いたのは石田三成じゃ。諸将の妻子も、既に捕らわれているとも聞いている」

 「三成!?あの佐和山の三成か!」

 「おのれ、乱心者が!」

 「妻子を捕らえるなど、男のすることではない!」

 次々に上がる怒号や非難の声。家康はそれらを抑えるように両手を上げ下げした。再び静かになる本陣。

 「わしはこれより江戸に戻って軍備を整え、逆臣の三成を討つ。諸将は三成に付くもよし、好きに致せ。この家康決して恨みはせぬ。道中の安全も誓って保障する」

 家康のこの言葉に、周囲はシンと押し黙ったが、やがて……。

 「この福島正則、家康殿にお味方致す!」

 猛将として名高い正則の一言に、周りも立ち上がる。

 「細川忠興!正則殿の右に同じ!」

 「それがしも!」

 「お味方致す!!」

 家康は内心ホッとすると同時に、自らの強運に感謝した。

 (さて、天下を奪いに行くか……)

 ここに、東軍が誕生した。



 第八十五章 完


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